「まどい」紙面から

   177号(2003/1)   水沢敬吉先生

 仙道中学校の卒業から48年余、実に半世紀の歳月が過ぎて3年前に還暦を迎えたばかりの皆さんです。
 皆さんとの還暦の出会いで、また写真等でもうすっかり禿げ上がりの貫禄ある姿に変わりました。勿論私も同然です。にとは皆同じです。ただ、皆さんと私との関係はかって師弟の関係と呼ばれる事実だけです。しかしそれも今ではすべて師を乗り越えて立派に自立した皆さんの姿にただ脱帽です。
 しかし63名の同期生のうちすでに9名の物故者が出たことは私にとって本当に悲しい限りです。生まれることは死ぬことであり、また人には定めの命としての定命(じょうみょう)のあることは十二分に承知しながらも、私よりも先に旅立たれた9名の皆さんには限りない悲しみを覚えます。どうか人間が持っている『生・老・病・死』4つの苦悩を乗り越えてただ一度の人生を大切に生きてください。

 戦後の復興の先駆になったのは、私は皆さんであると思います。
 昭和30年〜40年にかけて集団就職を余儀なくされ必至になって働いた皆さんの力が今日の日本を築いたものと確信します。
 物理的には何一つ不自由ない満たされた世の中でありますが、こんな世の中は二度と訪れないのではないかと思うのです。だから、ある意味では私たちは一番幸せな世の中に生まれたのではないかと思うのです。激しく変動する世の中、そして若者たちの背負う将来の日本に多少の危惧を覚える昨今です。

 さて、皆さんが今日まで「まどい」ヲ通して人間として一番大切な信頼を、友情や思いやりと通してお互いに激励し、助け合いながら生きてきた姿は本当に尊いものだと思います他の同期生にはない素晴らしいものを共有していると思います。その編集発行を絶えることなく続けてこられた芳雄さんには深い敬意と感謝を持つのは私だけではなく皆さん全員の気持ちであろうと思います。どうか「まどい」の絆ヲ大切にし、続く限りの発行を祈念しております。

 昭和27年4月に見知らぬ土地仙道に赴任し、以来50年、エトランジャーの私が周囲の方々に支えられ、ここを住み家としているのですが、年老いるといささか淋しさを覚えるのも事実です。時々50年の過去を振り返りながら歩んできた人生を整理しているところです。

 つまらないことを筆の向くまま綴りました。今また昭和27年の皆さんとの出会いを写真から名簿から想い出しながら過去を振り返っています。どうか定命を大事に生きてよかったあかしを子供さんに孫に語り継いでください。
 また、喜寿でも米寿でも傘寿でも会える日を楽しみにしています。