2004  水澤敬吉先生の ━瑞宝双光章━
叙勲祝賀会
平成16年7月3日秋田ゆざわの「ロイヤルホテル」において。長年にわたり教育の充実発展、児童生徒の健全教育のためご尽力された功績により。平成16年春の叙勲において「瑞宝双光章」を授章された。水澤先生の、祝賀会がおこなわれました。

水澤氏は、昭和27年仙道村立仙道中学校教諭として任命されて以来昭和63年10月、西馬音内小学校長として勇退されるまでの36年間、子供たち一人一人の個性の伸長と人間性の陶冶を目指す教育活動の進展に多大な貢献をされました。また、昭和63年から平成7年までは、町教育長として教育課題解決等に尽力されました。(うご広報) 羽後町では、水澤先生と共に、柴田長治郎氏が行政書士としての活躍により「旭日双光章」を授章。

また伊藤忠氏は48年間にわたる消防活動により授章されました。
おめでとうございます。


通信誌「まどい」はこの祝賀会を次のように報告しています。 

 『配布された出席者名簿に寄りますと211名。仙道中学校で先生のお世話になった方々。同僚だった先生方、教育関係や議員の方々、
 特に仙道中学校の関係者にとっては喜びもひとしお、師とあおぎ時にはかけがいのない隣人でもあります。私たちは、先生にとっての教職一期生に当たり、祝辞の挨拶も町長や県会議員にならび教え子代表として飯塚和雄さんが、先生の祝賀会に最もふさわしい祝詞を述べられました。(祝辞別掲)
 佐藤町長の祝辞の中で「戦後教育の模索の中での教育であった」と言われましたが、それに絡んでたまたまお話しすることが出来た(筆者)懐かしい土田冶兵衛先生も「当時は現場で思い切った教育が出来たもんだ」上機嫌でそんな話をしてくれました、水澤先生の「個性と人間性を育てる教育」であったと、町長も言っているように私たちの「まどい」にも「和」の精神、人間のかかわりの大切さを頂きました。
 懇親の時間では先生はテーブルの一つ一つを回られ、みなさんの祝福を身体で受け止めておられました。そして会場はさながら「水澤熟」の同窓会そのもののような雰囲気のあるものでした。
 水澤先生にとって、私たちが一期生ならば、二期生に当たる十一期卒業生の佐藤充治氏がやはり教え子代表として〆の万歳三唱を勤められました。佐藤充治氏は、私たちの三年後、永くPTA会長を務め現在は町会議員として活躍して居られます。また今回の「祝賀会」発起人の一人で特に力を入れられた一人でした。そして「水澤先生にとっては一期生であるあなた方が最も大事だ」そうまで言って下さった一人でもありました。そんなこともあり、祝辞にたたれるお歴々の中に、和雄さんをたてて頂いたと言うことでした。
 先生は、受賞について「私は何事をしてきたかと考え。またお断りするほどに出来てもいませんのでお受けすることにしました」と言われ、またこれはここに集まったみなさんや多くの方々がいただいたものと思っていますと話されました。』
(「まどい」183号2004年7月号)より。


また、先生は「まどい」に寄稿されております。

『春の叙勲で、はからずも授章の栄に浴し、去る五月十二日国立劇場で賞状と勲章の伝達を受け、皇居に参内し陛下の拝謁を受けました。私には過ぎたる賞で、恐縮この上ないものと思っております。
 七月三日には雄勝郡、市。平鹿、仙北郡からも参加し二百十名余の方々の祝福を受けました。本当に感慨無量で万感胸に迫るものがあり感激そのものでした。その前には、堀之内部落の方々の祝賀会があり、また八期生、十一期生、十二期生の各卒業の有志の方々から盛大な祝賀会を開催していただきました。本当に有り難いと思いました。
 
 私は十五歳のときに教師を志して、臨時教員養成所に入所致しました。いわゆる豆教員と言うものです。六ヶ月で準訓導という資格で教員免許状をいただいて小学校の教師になりました。教師とは名ばかりで、とても先生と呼べるような授業も指導もできなかったと思います。
 昭和二十年の終戦、それを機会に二十一年の四月に、本格的に教師を目指して師範学校に入学しました。途中学制改革で秋田大学に入学、昭和二十七年三月に卒業しました。卒業と同時に仙道中学校に務めたのが、仙道に居住の始まりで現在に至っているのです。 
 私は先生になりたいために先生になったのです。先生になろうか、先生しかないかな……ではなく先生になりたくてなったのです。だから今回の授章で生徒のみなさんが私を祝福し、喜んで下さった事が私にとって最高の喜びになったというわけです。たくさんの人々に祝福される事はうれしいに違いないが、先生になりたくてなったその教え子からの祝福こそ最高の祝福と有り難くて、有り難くて、ただ感謝あるのみです。
 七月三日の祝賀会には、その祝賀会のためにわざわざ東京から馳せ参じて戴いた芳雄さんにはあたまが下がります。祝賀会のご挨拶の中で飯塚和雄さんの身に余るご祝詞、「教師冥利に尽きる」とはこのことです。教え子にしていただいた祝賀会が、生涯の私の宝物になりました。生きていて良かった、教師になって良かった。ひたすら思いをめぐらす今日この頃です。みなさんに深く感謝を申し上げたいと思います。筆舌に表せない感動感激です。
 七十の半に達しました、これからは少しでも周囲に感謝し、あまりまわりに迷惑をかけない形で生きていきたいと思っております。どうか、仙道の地に骨を埋める私です。おひまをみてご来遊下さい。 もうみなさんもおじいさん、おばあさんのはずです、息子たちに家をまかせて限りある命を大切にゆっくり楽しく過ごすことだと思います。
 みなさんありがとう。ただ多謝あるのみです。』 「まどい」183号