羽後町と仙道







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平成合併後

合併以前の地図

 

 
 左の図は「羽後町公式ホームページ」より
 転載させて頂きました。






羽後町人口  19、389人・世帯数 5、428


羽後町は、東部は横手盆地に続き、西部は鳥海山に連なる出羽山地、特に仙道は積雪の多い地域で時には2メートルにも達する。

秋田県雄勝郡西部。1955年4月町村合併により羽後町となる。

   西馬音内・新成・明治・三輪・元西・田代・仙道

仙道=奥羽線湯沢駅より徒歩300分。バス45分



土田章彦著 「鷹匠語」より抜粋


『羽後町仙道地区は出羽丘陵のうちでも南部山地と中央丘陵地に挟まれた海抜3百メートルの高地にある。その中央部に仙道川が蛇行しながら流れている。上・中・下の三地区はかって江戸時代までの上仙道村・中仙道村・それに下仙道村の三ヵ村の名残を示している。仙道川の水源地に属する上仙道村のうちでも檜山部落は一番の奧にある。
三角地点の交差するあたりには峻険な相貌を見せる姥井戸山(296,9メートル)がそびえ立つ。村人たちはこの山の気象状況によって天候を占ってきた。黒雲が山の峰を包むとき、雨の近いことを知ったし、雪を抱く山肌をみては厳寒の冬の近いことを感じ取った』
  羽後町仙道


仙道とは。鳥海山に登る仙人(行者)の通った道だったことからそう言われたという伝えもある。

羽後町の中心、西馬音内から西南へ約10キロ、由利郡と境を接する鳥海山麓にある。
面積約4300ヘクタールのうち山林が80%以上を占め、標高300M前後の沢沿いに20集落が点在する。450戸のうち330戸までが農家。1戸当たり耕地面積1ヘクタールと小規模の上、寒冷な気候で昔からたびたび凶作に見舞われてきた。
1970年代(昭和45年)米の減反政策が始まり、年間出稼ぎ者も35人を超え、交通機関は湯沢市を結ぶバスが1日7往復。
人が住み着いたのは大同年間(806〜810年)と伝えられ、室町時代に創建された上仙道白山神社など、山伏修験者道との結びつきが強く残っている。藩政時代から、上仙道・中山道・下仙道の3村に分かれていたが明治22年、仙道村に統合、昭和30年の7中村合併で羽後町となる。
当時3200余人を数えた人口は、現在1500人と減少し進む過疎の中で、公的な施設が消えて行く。

        =武田憲一著「仙道番楽一代記」より=

5月、同窓会を機に、仙道を一回りしてきた。仙道は、上仙道・中山道・下仙道の三地域となっていたと解説されているが、数々の記念碑が残っているのは、そのうちの上仙道に集中しているのは何を物語っているのだろうか非常に今日に興味をそそるものがある。

仙道の歴史を、物語る一つの見方として。落人が隠れ住んだところであったという節もあり。鳥海山を道場とした修験者が開いたとかの節などが上げられているが、いずれにしてもいろいろな記念碑などが建設されているところから見ると鳥海から由利を通してまず上仙道に入ってきたのではないかと思われる、例えその記念碑が新しいにしても、そこに伝わる言い伝えや資料からも信憑性があるのではないだろうか。
ちなみに下仙道には、こうしたたぐいの建造物がほとんど見られないと言うところからも伺える。
ただこの記念碑からは必ずしも仙道の誕生の歴史を物語るものは推測出来ないがいずれにしても。比較的に古いものが残っているということから察することの出来る限りではそうした見方も出来るのではないだろうか。

「またぎの里」無医村で産婆として活躍した「産婆さんの碑」あるいは「番楽」また。その昔関取のでたところなどなどいくつかの「記念碑」が上仙道に集中している。そこにはまた沢山の物語が付随することのは当然といえる。
「鷹匠」の碑は、西馬音内にウツされたと聞くが、これは町の大きな間違いではないにのか。歴史はその発祥に地にあって始めて史実が伝えられるのものと考えられる。
町の、そして仙道の、町おこしや観光とまでは行かないでも、少なくても名所旧跡を紹介するなどの活動は出来るのではないだろか。仙道だけでもそれだけのものをもっていると考えられる。出来るだけ史実に基づいて物語を作り上げることによって、「素晴らしい仙道に」することが出来ると信じている。
一年に一度のイベントに集中しするよりは、日常いつでも案内できる体制を作り上げることによって、派手な観光事業よりも地道な観光事業を推進することが大切ではないかと思われる。
仙道に限らず、その地域の人たちの生き様をこうした記念碑や史跡を通じて広くそして興味深く伝えることも大切なのではないだろうか。
そのためには、今一度調査を重ねて、物語を掘り起こす必要を感じる。
新しい道路を建設しにとの出入りをと言うよりはこうした、物語を中心としたサービスの厚情が、発展に結びつく可能性を含んで知るのではないだろうか。
これまで、先輩が掘り起こしたものだけでも、興味のある方には十分に楽しんで頂けるのではないかと信じる。

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